シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

ネガティヴ思考のスイッチは、つなぎの「でも」だった。

こんにちは。

「でも」って言うと(言われたら)、その前に言ってたことを、クッション挟まずにドカーンと否定する感じがあるのです(過敏になってるときは特に)。

そんなとき私は、「一方で」と置き換えてみています。

「でも」は主観ベース、気持ちを感じて言います。そこでは、前後の要素が対立しています。

「一方で」は俯瞰の捉え方としての解釈、状態を見ています。そこでは、前後の要素を考えている自分(相手)がいるというだけです。

2種類の言葉の違いで、潜在意識にあなたが語りかけていることは違っているのです。例を書いてみます。カッコ内はあなたの感じ方によるので、ご自身に問うてみていただければ良いと思います。

 

例:あなたはある製品の宣伝広告を作っています。そして納期と出来栄えの間で忙しくなっています。

・時間が無いなぁ、でも、クオリティも詰めないとなぁ。(こっちを立てればあっちが立たずだよ、トホホ*1、ハァ(溜息)。)

・時間が無いなぁ、一方で、クオリティも詰めないとなぁ、(と思っている自分がいる。)

 

自分で自分に言っている分には、あなたはどちらの傾向があるでしょうか。

「でも」を頻繁に使っていた私は、「時間とクオリティどちらもどうにかしなきゃ、でも、どうしようどうしよう?!」と視野が狭くアタフタするばかりで、上手くやれないことが多々ありました。

上手くいかないイメージや過去の経験から、被害妄想が突き進み、「でも」という言葉が、悪い予想を連想させるキーワードとなっていました。無意識に、たった2文字の「でも」が当たり前のように使われていたので、条件反射としてネガティブな方向に自分を向けていることに、長い間気づかずにいました。

「一方で」を使うようになったのは、自分自身や周りを客観的に俯瞰して見る能力が欠けていたので、口癖レベルで変えれることはどこかと問うたときに、「でも」を変えてみようと思ったからです。

目的としては、「俯瞰して冷静にいる」ことです。そのためには、自分がどんな状態にいるか、現在地を把握することが必要だと考えました。

 

でも、なぜ冷静じゃないのだろう?と思うと、「自分のプライドが傷つくのを恐れている」だとか、「見栄を張るために無理をしている」といったことが湧いてきて、「ああ、そう感じてるんだな」と気づきました。

その瞬間!、「でも」って言ったら感情的になってるやん・・・、と感じました。

そんな中で、今まで無意識に言ってきたことで、「でも」を使っているときは、「感情を含んだネガティブな言い訳」になっている傾向があると気づきました。

 

そこで、「でも」を「一方で」に変えることで、自分の中で思考するときもそうですが、人から「でも」と言われたときも、感情ではなく、各要素を俯瞰してみて、事実を冷静に見て把握・判断しよう、とクッションを置くことにしました。

 

まだ、無意識レベルで使いこなせてはいないのですが、できなかったときや感情的になってしまったときに、気づくことができるように、今回ブログに書くということを一つの対策として実行したのが実情です。

シェアできれば、一方で「それは違うんじゃない?」と思っていただければ何かしら気づきにはなります。

 

読んでいただいて、ありがとうございます。

 

 

minirun.hateblo.jp

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*1:+_+