シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

コミュニティ不要とは何ぞや

コミュニティというよりも、世界観のランデブー

 

言葉には言語には表しきれない、文脈の情報や、

 

誰が言っているのかという情報が、

 

潜在的に付与されています。

 

お前誰だよ!

とツッコミたくなるのは当然のことです。

 

いきなり知らない人から、

 

生き別れた兄弟なんだと言われても、

 

よくわからないでしょう。

 

 ↓私の一部情報です。

minirun.hateblo.jp

 

読み直して思いましたが、

 

これって知らない人が読んでも、

 

ホントかどうか証明しようがないやん。

 

しかし、自分としては、

 

臨場感のある記憶を掘り起こして紡いでいる確信があるから、

 

過去の記憶の再合成として、現在に召喚・降臨させているという感じ。

 

これを書きながら、

 

過去(記憶、嘘かも)

 

という図式が出てきた。

 

書いていると、いろいろ結びついていくから面白い。

 

どんなことでも書いてみろと、多くの型が勧めるのが良くわかる。

 

出し切って、気になることと距離感を置く感じ。

 

忘れることは人間できないこともある。

 

脳は生まれてからこれまでのすべての記憶を持っているとすら言われているから。

 

だったら、ぐるぐるとノイズになっているかもしれないことは、

 

一旦外部化して、意識を向けるべきところにリソースを掛けられるようにしていく必要性があると考える。

 

つまり、書け!ということに帰着する。

 

言語をツールとして、好きな人はそうするし、

 

音楽、美術、スポーツ、グルメ、アロマなど、

 

自分の五感や言語といった感性に刺さってくることを繰り返して、脳を活き活きとさせようではないか、という提案。

 

自分の好きな世界観を作っていく。

 

そして、たくさん人間がいれば、似たようなものが好きな人たちが出会える可能性が、インターネット革命で広がった。

 

これってとんでもないことだと、今更ながらに思う。

 

地球の裏側とだって、繋がれてしまうのである。

 

どんなことが好きで、どうしていきたいのかを、突き抜けて考え動きまくることで、どんどん世界が広がっていく楽しさを、とことん味わい尽くせる環境に感謝感謝&感謝である。

 

そして、どうせならポジティブなことを、平和や誰かの為になることをという姿勢でやっていく。

 

そうすると、硬直したコミュニティは淘汰される気がする。1人1人が自分という会社国家の社長として、世界と関わっていくという感じだ。

 

それはコミュニティというよりも、世界観のランデブーという感じがしている。

 

大丈夫、もっともっと楽しめる。

 

人の為に何かすると、自分の為なんだなって頭になってくる。

 

そういうのもあると、おススメです。

 

おわり。