シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

他人の人生を生きるな

過去とは臨場感の強い情報状態だ

それは記憶とも言える

自分のものと思うだろうか?
そんなの当たり前じゃん!

おや、今、当たり前という言葉が出ましたね。

当たり前というのは、それが現状に囚われた慣れきった場所ということ、それが一番臨場感が高いということ。

記憶って脳の中です。

過去のあなたは、あなたではないのです。他人です。自己であり他己です。
そこを一度想定してみてください。

他人の人生を生きるな!

この他人は、過去の自分も含まれます。

過去に囚われるな!

という意味も包摂しています。
(発言している私の中ではですよ、真実は人の数だけあります、まったく同じことはあり得ません)

では、どうすれば良いのでしょうか。

出てきたワードをヒントに考えてみます。

出てきたのは、

自分、未来、死、解放、選択などなど。

自分というのは、いません。
関係性の残像が記憶として、自分(仮)というラベルで記述されているだけです。

過去の事実は変えられないし、過ぎたこと。だったら未来に対して何かしら働きかけをしていく、予定を立てるとか、ゴールを設定するというのが出てきます。

死んでいます。生きていることと両立しています。
関係性があるということが、生きているというラベルです。
相手の中でいないものとされたり、重要性が下がれば、死んでいるというラベルのカテゴリに入ります。
物理的には生きていますが、相手の情報状態、記憶というところでは、死にます。
それは、自分自身についてもです。
過去の延長にある現在の自分から変わるということは、その自分に死んでもらいます。
あるいは、永く眠ってもらいます。
空いたスペースに、変化後のゴールを達成した自分を生成させていきます。

これは、視点を高くして、
とらわれている現状を認識し、フレームを取り払う、あるいはフレームの外にみずからを動かすイメージです。


外か内かの判断は、
よくわからないとか、
落ち着かないだとか、

違和感があるかどうかです。

普通はしないよね、

をしてみる。

繰り返しです。

そうして、ゆらいで変化し続ける状態を、

慣れ親しんだ状態にします。

慣れたら、また別の状態を作っていきます。

どんなものになるかは、決まっていません。

あなた次第です。

楽しみですね。

つづく