シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

思い込みは当然すぎて、葬りさられていませんか?

疲れたり視野が狭くなったりすると、見えているものすら見えなくなってしまう経験はないでしょうか?


例えば、自動車に乗っていてトンネルに入った瞬間など、車内が暗くなって、いろいろと見えなくなるものがあるかもしれません。


では、それは見えないだけで、あるのでしょうか?


あるとどうして言えるのかを考えたときに、目が慣れたりトンネルを抜ければ、入る前の状態に復帰することを予測して確信しているからではないでしょうか?


確信しているという言葉では普段表現しないのかもしれませんが、言い換えると、


当たり前と思っているからです。


当たり前も何も、

だってそうじゃないか、

となりそうですね。


小さい頃から繰り返し繰り返し日常の中で同じような体験、


日が暮れて暗くなって、また日が昇り明るくなる、


光が当たると景色が日々同じ(厳密にはちょっとずつ変化がしてますが)ものとして、私たちを取り巻いています。


それが当たり前すぎるから、微妙な変化を認識してないのかもしれません。


とはいっても、変化してはいるので、2ヶ月前と比べたら、日の入りの時間は遅くなってきましたね。


徐々に変化してるので気づかない、微妙な差を意識的に観ようとしないと、気付いたらいろいろなチャンスが通り過ぎていってしまいます。


冒頭に戻りますが、視野が狭くなっているときは、小さな差が大きく見える一方で、全体的にどう周りが変化しているかが見えなくなります。


それは、数ヶ月の線というスパンで見たときの日照時間の変化を捉えず、1日1日という、点でしかものごとを見れていない状態になっているということかもしれません。


また、トンネルに入ってもいずれ出るという、順番をちゃんと認識していれば、暗闇の中で不安になることもなく、トンネルを粛々と止まらずに進むだけです。

しかし、トンネルの途中で進む道の限界を勝手に決めて制限してしまったら、止まってしまい、ずっとトンネルの中で不安に苛まれるだけです。

別に不安に思っているのは感じ方なのでどうでもいいです。

どうでもいいと自分のことだけど感情は他人事として、進むことだけに意識を向けて、みずから背中を蹴飛ばしてやります。


人に無理やりやらされるよりは、自分でやった方がマシだと思うので、勝手にやります。


ここで注意するのは、ヤケになって自暴自棄を選ぶこともできるし、リラックスして淡々と冷静に進むことを選ぶこともできるということです。

どちらが正解ということもありません。

ヤケになっても、頭の中だけであったり、人に迷惑を働きかけずに自己完結する(ひとりカラオケでシャウトするとか、さっさと寝てスッキリするとか)ことで緊張をほぐす役割として、堂々とそうすればいいとも思います。

でもそれも時間の無駄だと思えば、リラックスして淡々とやってもいいのかもしれません。


ゴールを更に先に設定したら、トンネルの前後だけが道ではなくて、道はどこまでも続きます。


道は、私たちのために続きます、ずっと。

未来の先へ真っ直ぐ伸びます。

生きてることは可能性です。

見えぬ果てへ行ってみましょう。

世界はまだまだ広すぎます。


見えてくる景色を楽しんでご覧なさいとお伝えしたいです。


知らないところへ行けば、新しいことに出会えます。


残された時間を、成長に使い続けることが、あなたにはいつからでもできます。


すでにやられているんです、もっともっといけると確信しています。


それでは!