シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

知識は体感と言葉

長い間、言葉のみに縛られていた感触がありました。


ものを捨てたり身体を絞ってみたりして強めの働きかけを現実でしてみることで、隙間ができました。

できたというよりは、あったものの質が変化した言う方が近いかもしれません。


隙間と言っても空気あるし、身体は常に変化しています。


置き換わったものを、ふわふわのクッションみたいなイメージにしてみることで、体感は随分と楽になり、頭の身軽さみたいなものを日々取り入れているような感じです。


そこでまた、言葉を改めて使います。


言葉を言葉としてではなく、体感を言葉として表して写すという、従来とは別の回路を使うようにしています。


そうやって、体感と言葉を行ったり来たりしている中で、本を読んだり人と話して情報をやり取りすることが、スッと入りやすく滑らかになる感触があります。


知識を習得することも、従来は文字や音声の言語情報のみにフォーカスが行きがちであったことを自覚してみると、順番が逆ですよと(細かくいうと順番ではなく双方向に並列している感じ)、周りを観るようになりました。


知識はものごとを認識するために必要なものですが、それは言葉によって示されると同時に、示している人にとっては体感も含めた、なんとも言葉にしずらいもので、


「見たらわかる、やったらわかる」


がまさに的を射ているものとして、ある人には陳腐に聴こえるのかもしれません。

人がそう言うからと言っても、その人の感じ方や捉え方は100%わかるはずがありません。

あくまで、推測してみるということ、同じ場を共有してみることで、なんとなく、自分の体感を積んで行ってみるものだなと、思います。


生まれてから様々なものを受け入れて過ごしてきた中で、あなたが持たなければいけないものは、幼少期とは変わっています。

年齢を重ねるごとに、社会もあなた自身も変わってきます。

その都度ケースバイケースで、手放し知識の更新を続けていくのが、良い意味での流される生き方なのかなとも思います。


流されるのなら、みずから設定してみた、やってみたいと思うこと(感情が動くこと)に向けて、新しい未知の領域を体験しに行くことをオススメします。


そこは荒波かもしれませんが、それは充分に乗り越えられる(というよりは流されていける)、チョチョイのチョイに繋がっています。


苦しいときこそ、一点集中で突き進む、そんな羅針盤にあなたは出会えますし、実は出会っています。


楽しんでリラックスしていきましょう!


それでは!