シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

影響を受けた言葉

【違っていい】
1年ほど前に、ある会社の社長さん(兼マスター)の方から伺った言葉。
“いい”という表現からは、いろいろな解釈が生まれますが、個人的にここ一年考えてみて、
 
そうであるのが当たり前なんだから!
 
という見方もしてみている(当たり前といっても、もちろん矛盾しているところも当然あり得るということは念頭に置いて)。
 
この世の中、当たり前なことなんて何もないという側面もある中で、より普遍的で、当たり前であることすら忘れ去られていることがある。
 
同じ人間はひとりとしていない。
同じ一日は二度とない。
価値観は違って当たり前。
比べるのがそもそも前提違い。
過去起きた事実はただの事実、解釈は別。
など。
 
改めて思い出して、繰り返し刷り込んでいくことが、自身や周囲との関わりの上での手入れとして重要である。
 
また、言葉は先に変な勘繰りをせず、まず、ただ受け止めて観てから(あー、空気が振動して耳から脳に信号として入ってんなー)、どういう文脈でどう作用するのかを吟味する必要がある。
 
「違っていい」
 
同じであらねばならぬ、違ったりはみ出してはならない、
そんな観念に縛りつけられていた過去の自分や周囲を思い出すに、その言葉が刺さった瞬間には鳥肌が立った。
 
わずか6文字の言葉であるが、目まぐるしく考えが書き換わっていくような、衝撃的な個人体験であった。
 
そうはいっても、違っているからこそ、差が見える。
その差やギャップをどう活用するかは、捉え方次第。偏った一つの見方にとらわれては、足元をすくわれる。
 
また、ルールが暫定的にある場合なら、そのルールの中で(スポーツ、法律、慣習、、、、)、相対的な位置を決めているだけ(順位や成績)。
 
そして、そのルールの中で、一番だから偉い、すごい、というわけではない。結果は結果として、次もまた取り組みたいか、トライしたいか、やっていることを楽しめるか、そんなことを次の未来に描き続けていけるか、それが多様な価値観がある中で、あえて共通する部分ではないだろうか。
 
違っていい、そのように伝えてくれる人が、果たして今までいただろうか?
 
いたかもしれないし、そのときに自分が上記のような受け止め方をしていなかったのかもしれない。
 
また、ここで怪しいなと思うのは、
「今のままでいいよ」
「そのままで大丈夫」
という言葉(無論、状況で意味は違ってくるのでひとつの解釈例として)。
 
「お前はこうあるべきだ。」
「(発話者にとって都合の良い)現時点でのあなたのままでないと、私が大丈夫ではない。」
 
という穿った見方として、過去に発せられた場面が思い当たる。
 
勝手に決めないでね、ということを、やんわり伝える(直接にしろ間接にしろ、その時々で)。
 
違っているからこそ、それぞれに共有できるバランスなり位置関係を、ときにぶつかり、ときに譲り、お互いに建設的に働きかけられるような場づくりが、どこにいても重要なことである。
 
安全第一。