シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

京都の元伊勢・天橋立に行ってきたら悩みが無くなった

f:id:minirun:20160621063624j:plain



(天に・ω・立つ)


先週、京都の元伊勢にある、天橋立へ行った。

昨年に縁あって訪問し、また来たいなと思っていたら、図らずとも吸い寄せられ、気がついたら着いていた。

麓から一直線にスイーッと伸びるリフトにユラユラ揺られながら、眼下には季節折々の花々が、山に降り注ぐ初夏の日光そのもののように光る。

f:id:minirun:20160621064358j:plain

日本三景のひとつとして知られる京都府天橋立は、傘松公園天橋立ビューランドからの股のぞき・袖のぞきが観光ポイントのひとつとなっている。天橋立は『丹後国風土記』にイザナギが天へ通うために作ったものとあるように、股のぞきを行うことで、天地が逆転し、細長く延びた松林が一瞬天にかかるような情景を愉しむことができる。

リフトを降りれば、ますこっとの、かさぼうさんもいた。

f:id:minirun:20160621064133j:plain


わやわやした展望台から股覗きの台に向かって立つ。

そして頭を下げて見渡すと、




・・・・・・・・・・

一瞬に、周囲の喧騒が、風の途切れるように切れる。


股覗きで頭に血が昇り(落ち?)ながら、雲と日差し靄の帳を通して景色を観望するに、みずからがどこに立っているのかわからないフワフワ感に漂う。

以前訪れたときに、高鳴る心臓の響きに追っかけられるように早足に歩いた松林の道を、半年以上置いて、改めて高台から観ている。

あそこを歩いた自分がいて、観ている自分がいて、天地を逆転して、天を歩いている自分がいて、

というふうに、イメージを働かせて遊んでいるにつけ、

はたと気がつく。

観たことのある景色だと思ったが、そんなことはなく、常に新しい風景、同じ情景は二度とない。

日々移り変わる中での一瞬一瞬を切り取って、想い出の記憶に蓄積しながら生きている。

そして、今ここに立っている私は、天になど立ってなく、

地に足をつけて立っているんですよと。

個人的な感想だが股覗きはそれを体感しうることだと感じるため天橋立はオススメ。

天も地も向きが違うだけで、観方の違いが感じ方の違いを生み出している。

地にしっかり足をつけ、感じていることや現状をみることで、

課題がみえてくる、課題が課題ではなかったということもみえてくる。

さらに大きな問題に気付いて一瞬ビックリもする。

そして、思い通りにならないときは、一旦整えて、またがんばろうと、基本に立ち返る。

同じ場を共有した方々は変わったが、確実にグチャグチャした縁が繋がって解け、

滔々とした時間の泡だつ流れが、新緑の木々の間に見え隠れしている。

慣れ親しんだ日常では感じにくいことも、特殊な場に実際行ってみて、暗闇の中から光を、光の中から光を、頭の天辺から足の先まで全身で感じて、その体感を覚えておく。

その感じた身体と心の状態を、日々の中でも呼び起こせるように、リラックスして情景を重ねていく。

考えもしないことを、感じ方が変わると思い浮かぶ。

言語化しても、近似的に当てはまるかなくらいであるが、繰り返してみるとなんとなく体感も伴ってくる。

観光しているときは、ただ目一杯楽しめばいい、

時間を置いて、

どうしてそう感じたのかな?
何が楽しかったのか?
嬉しかったのか?

と、網の目のような感情の絡み合いを、巡って辿って、

追体験。

そうやって、ブーンと蚊が飛ぶような鈍りがちな感覚を研ぐのが、非日常の手入れ、整え。

安全第一。