読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

入れるから出る

 
【入れるから出る】
文章をアウトプットしていく中で、インプットがあるからアウトプットがあるということを感じます。
正確には、インプットして、間に「プロセス(処理)」が頭の中であり、その反映としてアウトプットという形になっています。
プロセスは人それぞれに違うから、同じインプットであっても、アウトプットは異なったものが生まれます。
一日まえの自分と現時点での自分でさえ、実際は別のアウトプットをするわけですから、日々自分も含めすべてのものが変化しているということを感じます。
 
諸行無常というやつです。
 
諸行無常が当たり前。
 
過去にああ言った、こう考えた、ということは、あくまで参考であり、状態や関係性は常々変わり続けています。
 
かといって、完全に別人というわけでもありません。
 
記憶というもので、整合をとろうと、連続的なものとして近似し、別人といっても、より近しい状態(最適化)を、そのときそのときに創り出し、連続的に日々を歩んでいます。
 
そう考えると、どんなインプットを普段しているか、しようとしているかは、自分たちの未来の姿を形作るうえで、重要な要素となってきます。
 
何を食べるかで、構成される身体の状態が決まってくるというのと似ています。
 
どんな情報を入れるか、それが大切です。
 
ポジティブで未来志向の情報を入れるから、自然とその処理プロセスが繰り返されて強化され、アウトプットも変容していきます。
 
それは、どんなものを食べるか、どんなプロセスをする人と付き合うか、どんな情報を選択していくかということにリンクしています。
 
そして、情報は入れたら自己責任。
 
他者の作為的な働きかけも、相手はバレないようバレないように、仕掛けています(本人には自覚がないことも)。
 
だからこそ、一段上の視点からやり取りを俯瞰して、みずから情報を選択していくことを練習し続けていくことが重要です(思考停止しないために、いいように騙されて使われないために)。
 
そして、仕掛ける人は、仕掛けることが上手であり、私たちが知識として知らないことを差しこんできて、うまく丸め込んできます。
 
そこから護身するためには、知識を得ることと同時に、みずから仕掛ける・迎え撃つような意識付けが必要となってきます。
 
また、うまいこと騙されてみる、ということも、リスクはありますが、ひとつの訓練として効果はあると思います。
 
騙す人はこうやるのか!
 
ということを、自分の経験知として蓄えることも必要です。
 
実際に、私たちは学校教育で作られた歴史や常識を刷り込まれ(それが騙しかどうかは別として)、いいようにコントロールされています。
 
その知識がさも正しいものとして、思考停止させられています。
 
ほんとにそうなのかな?この情報を入れることで得する人がいたり、隠したいじょうほうがあるんじゃないかな?
 
といった、ひとつ外側からの批判的な視点を、能動的につくり上げていくことが必要です。
 
価値観は人の数だけあるということ、また、常識と言われてることは案外あっさりひっくり返るということ、
 
そこを自覚して、思考訓練なり防御演習をしておかないと、今後ますます情報に踊らされることになり得ます。
 
だからこそ、思考を自由に軽くして、自在に考え動いていくことを、私たちはいい加減に目を覚まして、取り組んでいく必要があります。
 
私の書いていることも、疑った方がいいし、書いた自分自身、完全なことは何もなく、不完全な状態での暫定的な切り取りとして記録しているだけです。
 
じゃあ書いて意味ないの?
 
ということは、まあどっちでもいいやん^^という感じ。
 
インプットして、プロセス(処理)して、アウトプットしているということ。
 
プロセスは目に見えず、アウトプットから恐らくこんなのではないかと類推する程度となります。
 
しかし、プロセスは何がしか実行されているため、それを見た人が自身のプロセスを相対的に観るための参照として機能すればいいなと思っています。
 
小難しく書いてるような気もしますが、
 
しっかり考え続けて、動いてみて、整理してみずからを手入れしていくことは、人任せにできるものではありません。
 
自分の頭で考えよう、ということの一つの説明として書きました。
 
楽しんでやりましょう。
 
苦しいことも楽しく、悲しいことも楽しく、楽しいことはもっと楽しく、うれしいことも楽しく、
 
人生を楽しんで遊んで、瞬間瞬間に最高であり続けること、その輪が広がっていくことを強く願います。