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シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

他人の評価は関係ない

タイトルの表現は、いろいろな捉え方ができるので、


言葉って便利なようでめっちゃ不自由、自分たちを縛り得る存在だなということが多々あります。


「他人の評価は関係ない」


これも、言葉をひとつひとつ吟味した上で、解釈のモデルを構築せねば、効果的に機能しません。


・他人とは?

他人とは過去の自分も含めた情報すべてです。

過去にああだったから今こうなっている、過去にそうだったから未来はこうなる、

という考え方を、ものごとすべてにおいて当てはめて決めつけてしまっていませんか?

ということで、他人すなわち過去志向のマインドの使い方、記憶や肩書き、従来のパターン化された常識、


それらも含んだ上での、


他人です。


・評価とは?

評価と口にするとき、私の場合は人から認められること、褒められることと言うのを、無意識に(刷り込まれたのか)、期待している節があるなと意識に上がりました。


そして、期待した評価を得るために、多少なりとも自分にとって不合理なことを、望まないのにやってしまってませんか?

ということを思いました。

そこですでに、理想的な期待と現状とのギャップに、どのように向き合うことができるのかをあまり正しく見えなくさせる無意識の習慣、思考の癖があることも自覚されてきます。


良い悪いという評価をすること自体が危ないとも言えます。


良いから良いわけではなく、人によっては最悪なことかもしれません。


自身のことを評価して批判する分にはいいですが、その向き合い方が、その当人が他者に対して働きかける評価のパターンとなってきます。


正しい判断なんてその人にしか結局はわかりようがないのに、自分の見方が絶対正しいだなんて、甚だ傲慢はなかろうかと。


価値観の押し付け、相手の価値観や考えを弾くことになっていないだろうか。


評価は後でいろいろ理屈をつけて説明するためのものです。


やりたいことや正当なこと、社会的に建設的に利益となることは、


評価して云々よりは、まずやってみることが重要です(実際にというところもありますし、思考実験としてテストするという意味でも)。

肝要なところとしては、思考停止しないこと、最悪のパターンと超最高のパターンを考えてみて、バランスを視野高くとるということが浮かびました。


・関係ない

関係というものはありとあらゆるところに無数に広がっています。


その中で、ゴールという望ましいとみずからが思い感じること以外は、


本音を言うとノイズでしかなく、自身の目を曇らせているものがたくさんあります。


関係が先にあって、そこからの反映や、関係性への相互作用によって、刻一刻と私たちは変化し続けています。