シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

人との関係性

身近な関係性の中で、自分はその人のことを好きなんだなと再確認。
他の人のことだったりを、浮ついた気持ちで、平気で軽口を言っていたのは、相手をもやっとさせたり、傷つけることにもなっていたのかもしれないし、自分がもっと相手にかまって欲しいという、子供じみた幼稚な発想はあったのかもしれない。
相手も人間、好ましくないことは好ましくないと感じるし、自分が逆にされたら何とはなしに、もやもやしてしまうものではないでしょうか?
そして、今まで何度も注意や指摘はうけていて、相手が悲しいとか嫌だなっていうメッセージを発していたのに、ちゃんと見ようとしていなかったことは、反省するところです。
きらい!と言われて、それを冗談ではなく本気で言っていると認識したときに、嫌われたくない自分、大事に特別にしてほしいという、自分の状態が映し出されたことに、自分自身がそれを認めようとしなかったことが、大変残念です。浅はかである。
といった感じで、沈んだり物思いにふけっていても仕方ありません。課題は何か、らしくなかった点として、次はこうしようということを、挽回といっては変ですが、改善して、相手とよりよい関係性を構築していくことを考える必要があるのではないでしょうか。
関係性は、常に変化しています。それは、相手も変わるし自分も変わる、双方向に。過去のあのときの関係性を理想化したり美化して、それに戻そうとしているということではありません。より良い関係性を未来に構築していける可能性に目を向けず、過去に浸るのは、らしくないことであります。
無論、距離をとるという関係性だって、そのときどきで必要なことでもあり、相手がこうでなければダメ、絶対的なものとして固執しては、抽象度が下がって賢くありません。
抽象度を上げてみて、相手の幸せを、見返りなど求めず、馴れ合いでもなく、ただ、幸せを願う、そんなことが日々大切なことであると思います。
愛とは一方的に送るもの、躱されたりしても関係ない。見返りがあったら困るくらいのものであると、言葉ではひとつの側面として定義されます。
自分を考えて変わるきっかけを、お互いに揺らすことで与えあっているということは、それだけでかけがえない価値を持っているのではないでしょうか。
好きなら好き、理由はない。ただ、相手の成功と幸せを確信して応援しているだけ。
そんなことを考えた昨夜でした。