シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

先生のフォロワーに留まっていませんか??

(先・ω・生)


先という漢字と、生という漢字を組み合わせた文字記号。

日本語では「せんせい」と読み、中国語では「ピンイン」と読む。

世の中には先生と呼ばれる人たちがたくさんいる。

教師、講師、医師、政治家、コンサルタント、士業、療法家、師範、教授、トレーナー、作家、などなど、、、

一般には自分よりも知識や経験を有し、人に対して情報を伝えたり啓蒙しようとする人たち、指導的地位・立場にある人のことであると、辞書にはある。

学校教育を受けていたときに放課後の雑談で、教師の愚痴?を話していたことを思い出すに、

「先生?ただ先に生まれただけだろ、偉そうに」

といった本音を聞いた記憶がある。

(学校教員の方を批判しているわけではございませんが、そのように解釈されますような書き方になってしまっているかもしれないことは大変申し訳ありません、あくまで「先に生まれた」ということの説明例として記載しております)

先に生まれたということで、相対的に知識や経験は、それこそ幼稚園児、小学校低学年の方々よりは一般的にあるだろう。

そして、その幼少期の頃に、先生という言葉に対して、上下関係を想起されるように、徹底的に刷り込まれている可能性が、とても高い。

メディアでもそのように扱われていますし、ひとつの側面としては、使いやすい応用の効く言葉として便利でしょうとは思います。

しかしながら、上述したような先生という言葉だって、便宜上そういう意味を表す記号として使っているだけで、ただの文字です。

上記のような意味が当たり前として受け入れられているのだから、それを『常識』と呼ぶのでしょう。

でも、それってホントかな?
何気なく使う先生という言葉に、上下関係や権威性を結びつけて考えて、不整合に陥ってないかな?

という視点もあって然るべきではないだろうか?


いくつかの勝手な解釈として記載するが、先生は、

「先を生きる」存在とも、文字記号からは読める。

『先』とは、では何か?

ここでは『未来』という言葉当てはめてみると、

未来を見据えて、指導・啓蒙しようと生きている存在として、先生を捉えてみる。

そうすると、年齢や役職、立場そのものは、意味をなさない。

どのように考えてどのように行動しているかというところがポイントとなる。

ただ、これだと指導的立場はあるため、条件反射的に上下関係を想起しかねないため、先生のフォロワーとしての関わりが支配的になりうる(それが良い悪いではないです念のため、そう見えるな〜というなんとなくの感想)

もちろん、目上の人を敬うという価値観は大切だと思うし、学ぶ(真似ぶ)という立場であるなら、謙虚に先生のやり方をまずは見習って修得する時期は必須である。

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ここで少し転じて、『先』を生きる存在について考えてみると、

物理的な年齢をイメージしてみれば、

例えば日本における、50歳の教師と14歳の中学生徒。

形式としては指導的・管理的立場にある教師と生徒の上下関係を想起してみる

が、しかし、40年後を考えてみるとどうだろうか?

平均寿命も参考なので一概には言えないが、仮に50歳の教師が、90歳という年齢で亡くなっていたとして、

当時14歳の生徒は54歳、存命と仮定し、これからも生きていくとする。

そうすると、『先(未来)』を生きる(物理的に直接周囲に関わる)存在としての、先生は、

当時14歳の生徒だということになる。

この説明だと、先生は生徒で、生徒は先生でと、、、

どっちもどっち、上下関係とか権威とかも、あやふやになる。

(注)年齢は相対的な事例だし、誰もがすべてまとめて平均寿命まで生きるという保証はない。ただ、人間の身体の仕組みとしては、集合としてみたときに、年を重ねた側からだんだんいなくなっていくだろうという推定として記載している。

さらに時間を100年とかもっとにしてみれば、今生きてる70億人だとかの大多数が、遠い先(未来)を生きる(あくまで物理的な制約の下)存在たり得ない。

そうすると、これから生まれてくるであろう方々や、出会う縁というものが、この説明での「先生」ということになる(この文章の書き手の妄言だが)。

(人口がどのように推移するかはなんとも言えないけど、人と人が出会って子を産み、育っていくという、遺伝子の強烈な力は作用し続けるだろうと仮定して)

そして、過去の人からすると、あなたや私たちが、今いることで、先生そのものでもある。

あなたは未来人!

ホントかどうかはどうでもいい、ただの説明、言葉による理屈。

ただ、こうして思考してみて、当たり前に使っている「常識言葉」だって、誰かが決めたものだし、

それに無意識にコントロールされていることだってあるんだよ、

ということを、意識してみただけ。

だからどうするの?だから何?

というのは、個人個人で考えていけばいいんではないだろうか?

と思う。

言葉を一旦考えてみよう(^^)