シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

お盆に思ったこと

(ぼ・ω・ん)


ゆらゆらと揺れる、無常を感じる、お凡。

煩悩を沈めたり満たしたり、煩わしさを見つめ直す、お煩。

インド哲学仏教においては、宇宙の根本原理だとか神々のひとつを思考してみる(ん?)、お梵。


お盆が今年も過ぎて、2016年も残り4ヶ月半。

仮に80年を人間の生体の耐用年数と仮定して考えると、

このお盆を80回とかぐらいしか経験できないなんて悲しいな、、。

お盆期間にもお仕事をされていた方にはありがとうございますと伝えたいし、ご自愛くださいとも伝えたいと思いました。

休まれた方には盆明けでリズムを取り戻して、またよろしくお願いしますという感じ。

というのは良いとして、

【ぼん】いう響きから、『凡』、『煩』、『梵』も並行して連想される(他にもあるだろう)。

言葉を音の響きとして捉えてみて、緩めて自由に思考するということを最近取り入れている。

そうすることで、人の言葉に一喜一憂しにくくなる、かも。
そうすることで、自分が発する言葉の意味を一旦少し考えたり意識にあげた上で、俯瞰して話していける、かも。

といったことを、半分確信、半分どうでもよく、練習。

凡だと、普通の平凡な感じもするし、それに良い悪いもないと思う。辞書を引くと、
「すべてのこと」という意味もある。

また、語源としては、

象形文字として、「風を受ける帆」の

象形から、風を受ける帆の意味を

表したが、それが転じて、風は色々

な方向から吹く事から、「すべて」

を意味する「凡」という漢字が

成り立ったそう。


そう考えると、ゆらゆら揺れながら、無常を感じる「お凡」を過ごした。

煩だと、煩悩や煩わしさが連想される。

煩悩を沈めて、静かにご先祖や家族、関わる人との関係性を頭の中で整えることもあるかもしれないし、

やりたいことをenjoyするという、煩悩を満たしてしまうことだって良い。

また逆に、煩わしさというものも、もしかすると親戚付き合いや日常的の暮らしの中であり、それを見つめ直すといった意味も含んでの「お煩」を過ごした。

さらに、梵だと、ウィキペディアからの引用であるが、


という、なんじゃらほい!
という感じのことを曖昧に曖昧なまま思考してみる、「お梵」を過ごした。

皆さまはどんな「おぼん」をお過ごしされたでしょうか?

ここまで読んでいただいてありがとうございます、あなたはきっと、良い人だと思います。


ぼーーーん!
b(・o・)n