シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

相手のため、自分のためで消耗しないために大切なことは何だろうね?

自分にとって大切なことが、相手にとって大切なこととは限らない。


相手のためと思ってやっていることが、単なる自分のエゴの押し付けでしかないのかもしれない。


相手にどうあって欲しいのか、相手にどうして欲しいのか、要求すればするほど、相手は無意識に強制力を受け取って、ますます拒否る。


まず、自分がどう在りたいのか?


それに答えられないのなら、人を指導、教育することの難易度はより高くなるだろう。


まずは自分を教育することが先。


相手は相手で考えて自己教育していくし、みずからの頭と体でやっていける能力は、そもそもある。


そこを信じてあげれなくて、ただ自分の不安を同調させるかのごとく、押し付けて支配し、コントロールしようとする意図は、残念ながら伝わる。


自分自身が実は一番、その押し付けの犠牲者に、自分自身をしている。


そして、そんなジレンマを解決することは案外簡単にできる。


それは期待しないこと。


期待するから、見返りを求めて、足りなければストレスになる。


どんな結果であっても出たものは出たもの。


相手が出したものの中で、その時点での自己ベスト。


まずはそれをそのまま見る、受け取る。


期待外れは、あなたの期待がお門違いであっただけで、過ぎたことなのである。


甘やかすのとは違う。


私も検討違いのことをすれば、当然のようにしばかれる。


ただ、それもそれで悪いわけではない。


変化のきっかけや自分の現在位置がよくわかるし、悔しいからギャフンと言わせたいとも思うような反骨の気持ちにもなる。


ダメ出しや減点方式が間違っていると言うつもりはないが、出た結果がこれからの変化・成長の材料になるのだから、それをなかったことにして、自分の価値観を打ち込まれた相手はたまったものではないだろう。


人間として扱われてる気がしない、というやつである。


恐怖や不安で麻痺させた相手に情報を入れてコントロールしても、一過性のものである。


すぐ抜ける。


そして自分自身も消耗するだけである。


教えたり育てることは、忍耐が必要な作業だが、抑圧した我慢という忍耐ではない。


着実にぶつかって立ち直り進めるように、ちゃんと見ていてあげるだけでいい。


期待はときには要らない。


必要なことを繰り返し、手を変え品を変え伝え続けるだけである。


相手のためなんかじゃないねん。


自分のため、自分が高まっていくために、相手を利用してるだけやねん。


という方が、シンプルでわかりやすい。


利用するんやから、相手もトコトン自分を利用すればいい、お互いさま。


相手のためなんかやない、自分自身のため。


そして、自分というのは結局相手ありきで存在しうるものだから、シンプルに相手を応援する、勝たすようにみずから損するくらいで与えていく。


突き詰めればそれだけ。


さあ、あなたはどうする?


気づいたことがあったら教えてください。


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