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シンプルライフ時々晴れ^ ^

周りをよく観て、自分も観えてくる

終わりました、ではなくて。

何か作業をしているときに、終わりというものは、実はない。



仕事は一例だが、完成度を上げようと凝れば凝るほど、時間もお金もいくらあっても足りない。


限られた資源の中で、次に進むための土台を作る、次に引き渡す、といったことに、意識をシフトした方が、



「流れ」



を良くするには効果的だ。



日常の言葉のチョイスとしても、



終わりました、ではなくて、



始まりました、にする。



終わった?と聞かれて、始まりました、では、相手を混乱させるので、心の中で



始まりました、にする。



終わったら終わってしまうではないか!(ん?何を言ってるんだとなったらそれはそれでスルーしてください)



自分の手を離れたとしても、次に誰かが控えているのだから、



終わり、ではない。



形式上、終わりかもしれないが、アフターケアは始まっているし、やったらやりっぱなしは、結局終わってないし、



また呼ばれて始めるときに、始動させるエネルギーが余分にかかる。



そうであるなら、終わったのではなく、区切りがついて、リスタートする準備ができた、



という認識にしておく項目も、大なり小なりあるだろう。



無論、終わらせる方がエネルギーが要る。


断腸の思いというやつだ。


スパッと切るものは切って、新しい血を入れていかないと、どんどん取り残されてしまう。



常識だと思っていたことは、ここ10数年だけでもひっくり返っていき、正しいものなんてない、なんでもありということを、最近は常々思う。



終わりと始まりは、スパンがあるように見えるが、突き詰めていくと、終わりが始まりで、始まりが終わりになって、境は曖昧になる。



スタート時が一番エネルギーが高くて、あとは惰性、ストップ時もエネルギーを要する、



というのは、自動車に乗っていたら体感としてもあったので、その例えから、勝手に止まるまで、発進し続ける、加速し続けるというタイミングも、道の状態をよく見て、淡々とやるように。


やはり、よく広く高く細かく同時に見ないと、、。



自分が誰かに、


終わった?と聞くときも、


繋がりや流れを伝達、共有するようにして、はじまりのためにやっていただいている、ということを覚えておいて関わろうと思います。